音にしない言葉でも   → お題配布 tiptoe 様




   何も聞こえない世界・・・
   ――いや、僅かに聞こえてはいる。
   自分のリズムから一歩遅れた、
   一つの足音だけが、圭一の耳に届いていた。
   まるで圭一を追いかけて来るかのような、
   そんな小さな足音。
   その足音から逃れようと走っても、
   圭一の後を遅れる事はなく、まして消える事は無い。
   いくら耳を塞いでも、足音は頭の中へ溢れ出る。
   やがてそれは、
   圭一の歩数より一歩多くなった。
   続いて二歩。
   先程までの小さな音が、
   徐々に大きく響く。

   「や、やめろ・・・やめてくれっ」

   走っても走っても、振り切れなくて。
   無我夢中で耳を押さえたまま、
   圭一は叫んでいた。
   その、自分のすぐ後ろで聞こえた、足音に――

   そんな刹那。
   不意に映像が映った。
   今まで意識しなかった画像。
   それはもっとも近かった存在。

   「・・・レナ・・・・・・」

   攻め立てる誰かの足音の渦の中で、
   ようやく圭一は一言呟いた。
   だが、レナは振り返ると
   ゆっくりと、そして冷たく笑った。
   やがて声にならない声で、何かを呟く。
   何を?
   溢れる音の中で、圭一はレナの唇を追う。
   それは、

   「信じて、くれなかったよね?」

   緩やかに、冷ややかに。
   そうして笑いながら、
   レナは圭一に囁いた。
   音にならない、でも、確実な言葉で。


   ******


   目を覚ました時、
   あの不可思議な足音は、ひぐらしの鳴き声に変っていた。
   眼前には、青い青い夏の空。

   「け、圭一くん!!大丈夫かな、かなっ?
   気持ち悪いとかは無いかな?」

   第一声で聞こえて来たのは、
   あの音の洪水の中で聞こえなかった、あの声。
   今一番聞きたかった声。
   いつものレナの。

   「オレ・・・どうしたんだっけ・・・」
   「体育の部活動中に、転倒して意識なくしちゃったんだよっ!!」
   「あ、ああ。そっか〜格好悪いな、オレ・・・」

   倒れる瞬間までの事を少しずつ思い出していた。
   そう言えば、沙都子のトラップに気付いて
   避けた弾みに段差から落ちた気がする・・・
   後頭部の頭痛がその事を俄かに語っていたが、
   そんな事よりも。
   今一番言いたい事があった。
   今一番言わなければいけない事があった。

   「・・・レナ、オレちゃんと信じてるから・・・」

   ――今度はちゃんと最後まで信じるから、何があっても。

   一瞬惚けた顔をしたが、
   いつも通り、レナは真っ赤になってしまった。
   恐らく、唐突な言い出しに
   意味がよく分からなかったに違いないけれど。
   ただ、ちゃんと声に出して言わなければいけない気がしたから。
   あの夢の様に、
   冷たいレナに、会いたくなかった。
   いつもの笑顔のままでいて欲しかったから。

   「け、圭一くん・・・あ、あの、よく分からないけど・・・
   レナもちゃんと信じてる、よ?圭一くんの事・・・」

   雑音でも、無音でもない、レナの声で。
   そうしっかりと圭一の耳に届いた。










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