記憶。

         +++「綿流し編」事件以降のレナ視点のお話です。




   「・・・レナはね、ずっと圭一くんに会いたかったんだよ。
   『今』の圭一くん、に・・・・・・」

   突然切り出した言葉に、
   明らかに圭一くんの顔に疑問が浮かぶのが分かった。
   確かに、こんな事突然言われたら
   誰だって意味が分からなくて、相手に問い質したくなると思う。
   まして毎日、登下校を共にしている相手なら、尚更。
   でも、レナはどうしても言いたかったの。
   学校帰りに、魅ぃちゃんと分かれてから
   二人きりになるこの時間に。


   ****


   今にして思えば、きっかけなんて些細な事だった。
   魅ぃちゃんがバイトでいなくて、部活が中止になってしまった日。
   そんな日だからこそ、圭一くんは言ったんだと思う。
   「一緒に帰ろう」って。
   普段なら、部活終了後
   特に誰かが何かを言わなくても、皆で下駄箱まで向かい、
   挨拶をして各々帰路につく。
   だから、その日は部活が出来なくて
   仕方が無いから帰ろう、そういう意味で圭一くんは敢えて言葉にした。
   そんな他愛も無い一言だった。
   普通に考えれば、それ以上もそれ以下にも、意味を成さない言葉。
   でも、その時の自分にはすごく違和感を感じていて、
   「一緒に帰る」という行為が大切な事のように思ったの。
   いつも、魅ぃちゃんと三人で帰っているにも関わらずに。
   その時は、その違和感がよく理解できなくて、
   ただぎこちなく圭一くんに返答する事しか出来なかった。

   それをはっきりと自覚したのは、
   圭一くんのお家にお邪魔させてもらった時だった。
   レナがチャイムを鳴らすと、圭一くんが扉を開く――
   そんな当たり前な行為。
   でもすごくそれが嬉しくて、同時に悲しくて、何かを後悔していた。
   別に、ただお部屋にお邪魔させてもらうだけなのに・・・
   突然泣きたくなって、そして圭一くんに謝りたかった。
   圭一くんに許してもらう為に。
   レナの『悪戯』のせいで傷つけてしまった圭一くんに。
   傷一つ無い指が、ひどく痛くなったけれど、
   それよりも圭一くんを傷つけてしまった方が痛かったから――
   結局原因はその時には分からなかったけれど、
   その感覚は、ひどく現実味を帯びていた事だけは分かった。
   記憶より不鮮明で、夢よりも鮮明な感覚。
   それは細部まで覚えている程に。
   圭一くんの、あの拒絶が分かる程に。
   やがて何回か同じような事を繰り返していく間に、
   レナは何となく理解した気がしたの。
   あれはもしかしたら、『以前の』圭一くんとの記憶じゃないのか、って。
   初めは信じられなかった。
   信じたくなかった。
   だけど、日を追う事に現実味を増す、
   正確に言えば、『思い出す』感覚は
   レナにそれを信じさせるには十分だったから。

   そして、その記憶の最後は、
   正直言って、今でもあまり思い出したくなかった。
   思い出した時、
   その事実に、ただの記憶だという事を忘れてしまった位、
   とても辛かったから。
   金属のバットが蛍光灯に当たって、
   一瞬にして明かりが消えていった。
   割れた破片が畳に砕け、散らばる。
   それから、とても鈍くて重い音が聞こえた。
   柔らかい何かを殴る、音。
   ――魅ぃちゃんやレナを殴る音・・・
   体が痛くて熱くて、
   恐怖よりも、後悔と悲しさだけが残っていた。
   レナは最後の力を振り絞って、
   また元の、あのはにかんだ圭一くんに戻って欲しくて、
   手を伸ばしたけれど。
   結局気持ちは届かないまま―・・・
   今じゃなくて、
   もっと以前に、戸惑う事無く言いに行けば良かった。
   レナは圭一くんの事をちゃんと信じているよ、って。
   だから、圭一くんもレナを信じて欲しい。
   一緒に笑って、苦しい時には一緒に悩んで泣きたいだけだから、って。
   それから・・・
   それから、ちゃんとこの気持ちを伝えれば良かった。
   もう、以前のレナは圭一くんに、ただ自分の事を信じて欲しくて、
   その言葉しか言えなかったから。


   ****


   「・・・?意味が分からないけど?
   レナとオレ、毎日会ってるよな?」

   だから、以前の記憶の無い圭一くんが、
   頭を掻きながら、意味分からないという風に
   返答したのはもっともな反応だった。
   そう、圭一くんは知らないから。
   レナの事を信じられなくなってしまった、『あの時』を知らないから。
   それから、今の生活がレナにとってどんなに嬉しいのか、
   圭一くんは絶対に気付く事は無いから―・・・

   「・・・うん、そうだね、毎日会ってるもんね。
   ねぇ、圭一くん・・・
   レナはね圭一くんに・・・お話、したい事があるの・・・」

   ずっと後悔していた。
   もしもこの気持ちを伝えられたら、
   『あの時』の状況は変わったかもしれない。
   あの間際の時に、あんな悲しい後悔をしなかったかもしれない。
   だから―・・・

   「あのね、圭一くん。
   ・・・レナは、圭一くんの事が、ずっとずっと大好きです・・・・・・」










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