きみのとなりで  ― 秘密のチョコレート ―




   甘くて苦いチョコレートは
   届かない恋に似ている
   でも今日だけは、どうか……



   【 秘密のチョコレート 】



   「足りなく、なっちゃった」

   何とか言葉にしたものの、
   その声に何より説得力を感じなかったのは口にしたレナ本人だった。
   竹串に一口大にカットしたフルーツを刺し、湯煎したチョコレートを絡める。
   適当な発泡スチロールに刺して乾くのを待てば出来上がり。
   箱に詰める際にはみ出てしまう分は更に切れば良い。
   チョコの合間から覗く色とりどりのフルーツはそれだけで見た目のアクセントになるだろう。
   出来上がったのは、3人分だった。
   4人いる部活メンバー全員に渡すには1人分足りない。
   ただ、足りないといっても、板チョコはまだ充分にあるし果物は切れば良いのだ。

   「……………」

   (認めちゃいなよ、その方が良いよ)

   沈黙する自分の代わりに、心の中にいる、素直な『レナ』が笑う。
   無責任に、明るく、ためらいなく。

   (それに、思ったぐらいじゃ誰にもバレないし)

   息を吸って酸素と想いに胸を膨らませる。

   (……レナは、圭一くんが好き)

   だから、友達の同じものなんて渡せない。
   迷いがなくなっても、声に出していうことまではさすがに恥ずかしくて出来なかった。
   それからレナは忘れ去られたようにテーブルの端に置いてあった型を手にとった。
   ぎゅっと握りしめると、鉄製のそれは彼女の体温を吸ってじんわりと温かくなった。
   前原圭一、圭一くん、けいいちくん。
   ふたりきりの時に目が合うとどきどきして顔が熱くなる。
   からかう仕草にうまく言い返せない。
   でもそれがきまぐれになかったりすると急に寂しくなってしまう。
   それは初めての異性の友達だからだと思っていた。
   否、今考えるとそれすらも自分を守る為の自分への嘘だったのかもしれない。
   都会からの転校生。
   物おじしない性格。
   頭の回転が速くて口もうまいから部活にはすぐに馴染んだ。
   ちょっぴりえっちで子供っぽいところもある。
   そしていつも見せるあの明るさは、
   おそらく自分と同じー傷を抱え、乗り越えようとしているところからきているように見える。
   彼のことならずっと考えてられた。
   でも、叶うならばその時間を費やして会いたい。
   甘くて苦しいこんな気持ちは初めてだったが、
   それが何なのか分からないほど子供ではなかった。
   でも、そこからどうすべきなのかが分からなかった。
   どうしたらいいのかも。
   それはやはり、子供だからなのかもしれない。
   明日はバレンタインだ。
   でもそれが何をしてくれる訳でもない。
   どうするかは自分次第なのだ。
   望みのものは時間をかけず、すぐに完成した。
   ハートのチョコレート。
   秘密の想いを秘めたチョコレート。
   気づいて欲しい、という思いと気づかれて欲しくないという思いが半分。
   自信も期待もないから、余計なことに気がまわってしまう。

   「もしかしたら、圭一くん。自分だけ手抜きされたと思われちゃうかなぁ……」

   素直になっても、口から出るのは愚問ばかりだ。
   そんなことを回避する手段はいくらでも思いつくのに思考をそこでやめてしまう。

   (だってー)

   伝えたら、相手に返事を強いることになってしまう。
   そして、返事をくれるのなら良いものを望んでしまう。
   答えはいつまでたっても出せそうになかった。
   時間はただ、過ぎていく。

   「おはよう、圭一くん」
   「お、おう。おはようレナ」

   次の日の朝、圭一が何か言いたそうにしているのが分かったが、先回りして言ってしまう。

   「どうしたの?何か嬉しそうだよ」

   圭一は簡単に動揺して、レナの様子には気がつかない。
   いつもとはまるで逆の立場だ。

   「そ、そんなことあるわけないだろ。レナ、そういえば今日って……」
   「何?」
   「い、いや何でもない」
   「じゃ、行こっか」
   「お、おう……」

   努めて冷静になるようにした結果、彼がつくったチャンスを見送ってしまった。
   無意識であったがゆえの絶好のタイミングだったにも関わらず
   レナは言い出すことが出来なかった。
   学校についてから慌ててタイミングを計る。
   授業中、休み時間、昼休み……しかし時間は過ぎるばかりだ。
   よく考えてみれば学校にいる時間に彼とふたりきりになる瞬間などほとんどない。
   帰りにふたりきりになれるがそれでは遅いのだ。
   朝チャンスを逃してしまったことが今更ながら後悔された。
   圭一も圭一で、いつも以上に動き回り、声をかけづらい状態になっていた。
   そわそわした様子が自分宛のチョコレートを探しているのだと分かった。

   (ここにー)

   声が。

   (ここにーあるよ)

   声が、出ない。
   とうとう何も出来ないまま放課後になってしまった。
   レナは落ち込みを引きずりながらも何とか部活の罰ゲームは回避することが出来た。
   圭一は今日一日の惨敗のショックから抜けらず結果的に大敗することとなった。
   事態を受け入れることが出来ず茫然とする圭一に
   魅音は鞄からチョコレートを取り出して渡した。
   圭一は驚いて叫んだ。

   「魅音、こんな、みんな見ている所で……!」
   「はぁ?何言ってるの圭ちゃん?」
   「え?」

   魅音は呆れた様子で鞄の中に手を突っ込み全く同じものをみっつ取りだした。
   それぞれをレナ、梨花、沙都子に渡す。

   「はいレナ、はいこれはふたりね」
   「わぁ、ありがとうっ」

   それを見て、圭一が震えた。

   「みみみみ魅音さん」
   「何さ」
   「これは、バレンタインの、俺へのプレゼント、ですヨネ?」
   「そうだよ。でも圭ちゃんだけじゃないよ、部活みんなのだよ」
   「ななななっ」
   「圭ちゃんは遅れてるなぁ。女子から男子だけなんて誰が決めたのさ。
   友達同士で贈りあって楽しむの」
   「えええええっ」

   驚く圭一をからかう魅音。
   いつものふたりのやりとりだったが、若干魅音のリアクションがオーバーであった。
   いつもは圭一と張り合う魅音だがその内面は見かけ以上の女子である。
   異性に渡す緊張というのが出てしまったのだろう。
   或いは、また別の淡い感情も入っていたのかもしれない。

   (ひょっとして、魅ぃちゃんも圭一くんのことが……?)

   「今年のレナのは何かなぁ?」
   「!」
   「?どうしたの?」
   「う、ううん」

   覗きこんでいた魅音の顔は心から楽しみにしている様子で、
   それを見たレナは申し訳なさに心が痛んだ。
   料理に手を抜いた訳ではない。
   でも昨日からずっと考えていたのは圭一のことばかりで、
   今は更に彼女の気持ちまで邪推してしまったからだ。

   「えへへー」

   笑え、笑うんだとレナは自分に言い聞かせた。
   疑い、今度は心配させてしまってこれ以上大切な友達を裏切るようなことをしてはいけない。

   「友チョコの中身はみんな一緒だよ。イチゴとかの果物をチョコでコーティングしてみたの」
   「わ、おいしそうじゃん!」
   「だから申し訳ないんだけど早めに食べて欲しいかな、かな?」
   「私らのはいつも既製品なのに、悪いねぇ」
   「レナは好きで作っているだけだもん」
   「……………」

   視界の端に映る圭一の怪訝な表情。
   聡い彼なら不自然さに気づいたのかもしれない。
   しかし違和感を覚えてもそれが何かまで分からなかったのだろう。
   そしてー

   「さぁて、お待ちかねの罰ゲームターイム☆」
   「い、い、いやぁぁぁぁぁっっっ!」

   小悪魔と化した魅音たちが、悠長に考える時間さえも与えなかった。

   『あれ、レナ。圭ちゃんのは?』
   『えっとね、朝もう渡しちゃったんだ』
   『まぁ、圭一さんひとりだけ先なんですか?』
   『圭一は抜け駆けねこさんです。にゃーにゃー』
   『もう、みんな。からかうなって』

   と、そこまでうまくいくとはさすがに思っていなかったけれど。
   やっぱりうまくいかない。

   「圭一くん、あのね。返事はしなくても、良いからね」

   帰り道、ようやく言えた言葉は相手にとってはまるで意味不明なものだった。

   「返事?」

   圭一は一瞬困惑した表情を浮かべたが、すぐに得心がいった顔で言った。

   「あ、お返しのことか。
   ばーか、魅音たちにしてお前にしない訳にいかねーだろ。ちゃんと用意するから」
   「ん……うん」

   かん違いを否定した方が良いのだが、思わず頷いてしまう。

   「変なことに気ぃまわすなよ」
   「迷惑じゃなかったかな、かな?」
   「当たり前ろ……あ、そっか。ごめん言ってなかったっけ」
   「?」

   圭一は口の端をにっと上げて笑った。
   レナの大好きなその笑顔に目を奪われる。
   そしてやっぱり彼が好きなんだと改めて思った。

   「ありがとな、すっげー嬉しかった。

   前の学校ではこういうイベント事とかまるでなかったから」

   「圭一くん」
   「でも、レナに貰えたのが一番嬉しいなぁ。
   手作りだろ?なんか彼女に作って貰ったみたいだ」
   「彼女なんて……」

   この余計なひと言を出すのがいつもの彼だ。
   部活動での敗北と罰ゲームからはすっかりと立ち直ったようである。
   からかわれていると分かってしても、
   レナは顔がぽーっと赤くなり何も言えなくなってしまう。
   その顔を見てようやく調子を取り戻した圭一がぽんぽんと軽く頭をたたく。

   「あはははっ、じゃ、また明日っ」

   手を大きく振りながら去っていく後ろ姿。

   「もう、圭一くんたら……」

   胸がきゅうっと苦しくなる。
   でもどこか温かくてくすぐったい。
   次は、次こそ、次だって頑張ってみせる。
   好きだって。
   大好きだって。

   「これから、もっと、いっぱい思い知らせてあげるんだから」 

   その時には絶対気付かなかったなんて、言わせない。
   ただ、今はまだ甘いチョコレートの影に隠れた彼女だけの秘密である。










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